海外でのみ販売されていた国産メーカーの小排気量モデルを輸入した立役者である矢代富治雄(現 株式会社バイク館イエローハット 参与)にその歴史を語ってもらいました。連載第二回となる今回は、輸入車を扱う上で一番苦労したという「梱包」についての話。
取材:伊井覚(ANIMALHOUSE)、写真:尾崎写真事務所
バイク館の輸入車の歴史は1980年まで遡ります。中国やインド、タイなどアジア各国で販売されている日本メーカーの小排気量車に着目し、独自のルートを開拓して日本に輸入、販売を開始しました。その過程で一番苦労したことは現地との契約や車種の選定などではなく、なんと梱包方法なのだと、矢代は言います。
「ヨーロッパやアメリカのメーカーが日本にバイクを輸出する時って、鉄や木の枠を作ってその中にバイクを収め、一台一台ちゃんとした箱に入って送られてくるんですよ。それが当たり前なんです。
だから初めて中国からバイクを輸入して、コンテナを開けた時は驚きました。だってコンテナの中にバイクが裸のまま交互に入れられていて、バイクとバイクの間にはマットやタイヤが緩衝材代わりに詰められていたんです。もちろん固定もされてなくて、中には倒れたり傷ついていたりするものもありました」(矢代)
当然そんな状態のバイクは新車として販売できません。矢代はそれから幾度となく中国へ出向き、徹底的に梱包作業の見直しを指導しました。
「当時、そこはもうヨーロッパにも輸出していたんですけど、世界の多くの国ではそこまで傷を気にしないんですよ。でも日本人はちょっとした傷もすごく気にします。もちろん高いお金を出して買った新車に最初から傷がついていたら、誰だって嫌ですよね。
現地の作業員にそのことを何度も説明して、理解してもらうのがとても大変でした。今では木製の台を作って、その上にバイクを載せて台に固定し、部分的に緩衝材を入れて保護してビニールで覆っています。これでようやく日本で販売できるレベルになりました」(矢代)
中国でこの体制を築いたら、次の国でまた同様に指導し、それを繰り返してきました。しかし他の国と取引を始めると、また違う問題が出てきたのです。
「注文した数と入ってきた数が全然違うんですよ。例えば赤を10台、黒を20台、白を10台って頼んだのに赤が20台届いたりします。それでも返送するわけにいかないから、間違って入ってきた分は頑張って売るしかないんです。
そのあたりを丁寧に対応してくれる業者を探すのにも苦労しました。他にも新車を頼んだはずなのにメーターを見ると走行距離が25kmもあって、理由を聞いたら『港まで乗ってきた』って言うんですよ! もうね、驚くことばかりでした」(矢代)
矢代はそういった日本との「意識のズレ」を一つずつ解決し、40年以上かけて現地との信頼関係を築いてきました。
現在では各国からのコンテナが月に約20個、横浜港に到着しています。一つのコンテナに約30台バイクが入っているので、約600台となる計算です。それが埼玉県川越市にあるバイク館のL&I輸入新車流通センターに移され、そこから全国62店舗(2022年11月現在)のバイク館に納品され、店頭に並んでいるのです。
国内メーカーのバイクであれば当たり前のように綺麗な状態の新車が届くものですが、アジアからの輸入車はそれが当たり前ではありませんでした。しかし、お客様にとってみれば同じ新車であり、命を預けるかけがえのない一台。輸入車だからといって傷モノを納車するわけにいきません。矢代はその信念を貫き、根気よく現地と向き合い、このアジアからの輸入バイクという市場を守ってきたのです。