海外でのみ販売されていた国産メーカーの小排気量モデルを輸入した立役者である矢代富治雄(現 株式会社バイク館イエローハット 参与)にその歴史を語ってもらいました。連載第一回となる今回は、輸入車を取り扱うようになった始まりのストーリー。
取材:伊井覚(ANIMALHOUSE)、写真:尾崎写真事務所
北海道から熊本まで、全国に62店舗(2022年11月現在)のチェーン展開を行うバイク館では、輸入車の販売に力を入れています。それもヨーロッパやアメリカの大型バイクではなく、中国、インド、タイ、ベトナム、インドネシアといったアジアで販売している小排気量バイクが中心です。
実はバイク館の輸入バイクの歴史は1980年前後まで遡ります。当時、日本で販売しているバイクを海外に輸出する仕事をしていた矢代富治雄は、日本国内で販売していない国内メーカーの大型バイクが海外で売られていることに気がつきました。
「最初はシンガポールだったかな。CBR400RRとかの中古車を輸出していたんですよ。だんだん取引先の国が増えて30ヶ国くらいに出荷するようになっていく中で、海外には日本国内で販売していない日本メーカーの大型バイクがあることに気がついたんです。例えばCBR1100XXスーパーブラックバードとかですね。これを輸入して日本で売ったら売れるんじゃないかと思って、色々な登録手続きの問題をクリアして、日本に輸入するようになったのが始まりです」(矢代)
当時は直営の販売店もまだ少なかったのですが、仲の良いショップに業販で卸したりして販売ルートを確保していました。ところが矢代は、アジアにもっと大きなマーケットの可能性が眠っていることを発見したのです。
最初は中国でした。当時中国にはホンダ、ヤマハ、スズキの合弁会社がたくさん存在していて、小さいメーカーまで合わせると200社以上のバイクメーカーがあったとも言われています。そこで扱っている125ccの小排気量バイクは国内でも需要があるのではないだろうか、と考えました。
「五羊ホンダとか大長江スズキとか新大州ホンダとか……そこには国内ラインナップには存在しない125ccのバイクがたくさんあったんですよ。CBF125(ホンダ)とかXTZ125(ヤマハ)とかGN125(スズキ)とか。国内メーカーがしっかり教育してくれていたので、バイクのクオリティも高かったんです」(矢代)
今でこそ日本には125ccのスポーツモデルがたくさんありますが、当時はスクーターくらいしか存在せず、日本市場の125ccの需要は大きくないと考えられていました。事実スズキのGN125も1982年の発売当初は国内向けにラインナップされていましたが、1995年に姿を消し、その後は中国だけで生き残っていました。
「正直言って、最初は全く期待していなかったんです。日本で125ccのバイクがこんなに売れるとは思っていませんでした。当時は円高だったこともあって15万円〜20万円くらいで販売することができたのも大きかったと思います。今の日本の125cc市場は僕が開拓したと言ってもいいんじゃないかな」(矢代)
近年ではアジアの主流は125ccから155cc、190ccへと移行してきており、国内へ輸入するモデルにも変化が見られるようになってきました。さらに2021年10月から国内販売モデルにはABS(125cc以下はCBSでも可)の装着が義務付けられるようになり、一部モデルは販売できなくなってしまったのです。それでも現在バイク館では、アジア圏からの輸入モデルだけで年間約6000台を販売しています。
「台湾のマジェスティ125もヒットしましたね。あとはブラジル・ヤマハのXTZ125がすごく売れました。日本にはない良いモデルがたくさんあったんですよね。最近ではタイ・ヤマハのXSR155が大ヒットしました。そして今一番熱いのはインドです」(矢代)
矢代はそんな時代の移り変わりにも柔軟に対応するため、今でも自らの足でアジア各国を訪れ、現地との交渉の表舞台に立っています。
アジアからの輸入バイクは安価で排気量も小さいため、初心者や女性にも扱いやすく、バイク乗りの入り口として重要な役割を担っています。矢代は40年以上もの間、辛抱強くこのマーケットを支え続けてくれたのです。